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ベッツィーとは |
タイニー・ベッツィー・マッコールの誕生 |
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ベッツィー・マッコールは、1951年5月に『マッコールマガジン』というアメリカの雑誌の中のペーパード−ル(切り取って遊ぶ紙の着せ替え人形)として誕生しました。
その後、1957年にはアメリカンキャラクタートイ社より、8インチのひざ関節のある、お人形として発売されました。
ただ、1959年にはバービーが発売になってしまったので、その人気の寿命もあまり長くなかったようです。 |
タイニー・ベッツィー・マッコールの復刻 |
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アメリカのタナードールは何年か前(2000年からかと思います)からベッツィー マッコールというお人形を発売しましたが、それは1959年の初めて発売されたベッツィーとは大きさもお顔も違うお人形でした。 (1960年代以降、ほかの会社からもっと大きなベッツィーも作られていたことはあるのですが・・・)
そして、2001年、タナードールがベッツィー生誕50年を記念して、ファースト モデルのベッツィーをタイニー・ベッツィー・マッコールとして、復刻させました。 |
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米国のタイニー・ベッツィー・マッコール |
アメリカ合衆国(51州)は、3億人に近い人口をもつ広大な国土の中、トナードール社との特約小売店だけでも約130店舗前後存在します。 ドールを取り扱う専門店ともなれば、それ以上の200店舗数以上にも上るものと想像できます。 |
TABLE ON Country Storeとタイニー・ベッツィー・マッコール |
当店は、このタイニー・ベッツィー・マッコールにほれ込み、販売を開始いたしました。 価格は、このインターネットの時代ですから利益を確保することよりも、お客様がアメリカの小売店から直接購入するよりも送料や関税を入れると当店で買ったほうが安い、と思っていただける価格設定にしています。(ちょっと苦しいのですが・・・)
タイニー・ベッツイー・マッコールのほとんどが 2,000体(セット)の限定された生産数ですので、各1店舗が10数体づつ発注したとなれば、 その商品は、それだけでメーカー完売となってしまいます。
2007年度から、ドレスドドールは、限定が1,000体に減りました。 「オープン・エディション」の製品につきましても、初回生産分のみで終了となりますので、 実質的に限定品となります。
そのような事情の中で、当店は、商品を確保するために努力をしております。 |
タイニー・ベッツィー・マッコールの歴史と詳細 |
現在、ベッツィーファンの間では、多くの方々に知られていることだと思いますが、ベッツィー・マッコールの歴史は、1951年に、アメリカで当時人気のマッコールマガジンという雑誌に載った、6インチ(15cm)のペーパードール、つまり紙の着せ替え人形から始まります。 ここでは、その始まりからのお話を書かせていただこうと思います。
◇In the Biginning
1951年5月号のマッコールマガジンの表紙は、全国的なタレントハントによって選ばれた4歳のペギー・マクグレガーが、ペーパードールのベッツィー・マッコールとお揃いのお洋服を着て、一緒にポーズをとっているものでした。 その表紙には"Your children will love to play with Betsy McCall"(あなたのお子さんもベッツィー・マッコールと遊ぶのが好きになるでしょう)と書かれています。 ペーパードール ベッツィーの着せ替え服は、ケイト・グリーナウェイやリーガル・ニットウェアー社など、当時の有名企業によってデザインされました。 また、ベッツィー・マッコールの名前でいろいろな玩具が製造され、彼女によって宣伝されます。
「ベッツィーは、たくさんのファンを作り出し、最大の企業の一つ、マッコールパターンの広告を提供しただけでなく、奇跡の繊維といわれたデクロンやナイロン、レーヨンの宣伝もしました。」 ベッツィーは玩具界、洋服メーカーのコマーシャルをしただけでなく、当時開発され、現在ではポピュラーになった化学繊維の一般認知にも貢献したと、人形研究家、A・グレン・メインデビルさんは書いています。
ペーパードール、ベッツィーには、たくさんのお着替えがあり、それと同じデザインの子供服とベッツィー用のパターン(型紙)を買うことが出来ました。 そして、母親たちと子どもたちの間で、その服を作るのがブームになりました。 大好きなお人形とお揃いのお洋服を着せてもらえる・・・なんて嬉しいことでしょう。
◇本当のファーストドール
1952年、Ideal社(アイディール。後にタミー人形で日本の人形ファンにも名が知られるようになりますが、タミーだけではなく、コンポジションやソフトビニール製のシャーリー・テンプルドールでも、たいへん素晴らしいものを世に送り出しています。)より、14インチ(36p)のベッツィー人形が発売されました。 原型師はバーナード・リプファート氏です。 彼はドイツの人形メーカーの家系出身で、1912年に移民としてアメリカにやってきました。才能が見出され、初めてのドールヘッドに5ドル(!)が支払われるまで、彼は、鉄で出来たオーナメントを作る工場の労働者でした。 アイディールの14インチベッツィーは、ブルネット(こげ茶色)の巻き毛を持ち、サラン製のその髪は、頭に糊付けされていました。 そして、それは、こげ茶のヘアーネットで覆われていました。 彼女のブルネットの髪と、まつ毛*のあるスリープアイ(起こすと開いて、寝かすとつぶる目)のその顔は、ペーパードールのベッツィーにそっくりでした。 頭は詰め物がされたソフトビニール製で、"McCall Corp"と刻印されています。 この素材は時間経過と共に変色されがちです。 また、目の端には一本一本描きまつ毛**がペイントされました。
* ** 筆者の知る限り、人形のまつ毛には3種類あり、 1つは"リアルラッシュ"と呼ばれ、眼球が固定され開閉しない人形や、描き目の人形(バービーやフランシーなど)では、アイホールの上弧に付けまつ毛様の毛が接着、または植え込まれたものの事を差します。 ただ、アイディールの14インチベッツィーの場合はスリープアイの人形なので、その眼球の瞳の上部に弧状に付けまつ毛様のものが付けられ、まつ毛の上はお顔のトーンに合わせた肌色のペイントがされて、重りの付いたギミックによって目をつぶったり開けたりするようになっています。 2つ目は、"モールデッドラッシュ"と呼ばれるもので、1957年のベッツィーや、2001年から発売されているタイニー・ベッツィー・マッコールのように、形状はリアルラッシュと一緒でも、毛部分が、型取りされたプラスティック製で、眼球の上まぶたの際に接着、または一体化されているものを差します。 3つ目は"ペイントラッシュ"で、その名の通り、ペイントされたまつ毛です。ベッツィーには、リアルラッシュやモールデッドラッシュとともに、ペイントラッシュがあり、その可愛らしさを一層増しています。ペイントラッシュだけの人形ではVogue Doll社のGinnyが有名です。
ボディーはハードプラスティック製で、"Ideal P90"の刻印があります。 手足も同じ素材で、当時"アンブレイカブル ボディー"(壊れない身体)と広告されました。 アイディール社は、この同じボディーをToni(トニ)という人形にも用い、そのトニは2006年よりロバート・タナー氏(氏に付いては後述します)がエッファンビー社で、復刻しています。 14インチベッツィーの5本の指は、離れていますが、中指と薬指はくっついているように見えます。 また、ベッツィーのお顔は、一つ一つ違って見えます。 それは、お顔が手描きされていたからです。 まつ毛の本数が違ったり、頬紅や唇の色調が違うことは珍しいことではありませんでした。
◇ 8インチ・ベッツィーの誕生 1957年、アメリカンキャラクタードール&トイカンパニーが第2番目のライセンスを取り、8インチ(20p)のベッツィー、が誕生します。 彼女はハードプラスティック製で、首、両手足を動かすことが出来、膝も曲げられるものでした。 アイディールからベッツィーの生産を引き継いだアメリカンキャラクター社は、その根本から型を変えました。 アメリカンキャラクター社は、1957年から1963年までベッツィーを作りました。 有名な原型師Agop Agapoffが、何ヶ月もかけて8インチベッツィーの第一番目のドールを粘土で作りました。 彼女は、高品質のハードプラスティック製で、それまでにすでに人気だったジニーや、アレクサンダーキン(マダムアレクサンダー社のウェンディー)、マフィーという、8インチドールのマーケットで成功を収めます。 8インチベッツィーが初めてマッコールマガジンに登場したのは、1957年の7月号でした。 その号には一面を使って、8インチの新しいベッツィーの写真と、いくつかのお着替えが掲載されました。 その中でも、ベッツィーマッコールというロゴがプリントされた生地(当店旧ホームページ内、ベッツィーページの壁紙と同じデザイン)のレインケープの下に着た、白と水色のギンガムチェックのドレスは、コレクター垂涎の品で、収集家のMarci Van Ausdallさんは20年以上も、そのドレスを探し続けているそうです。
◇ 販売形態 1957年、ベッツィーベイシックドール(下着を着た)と、別売の18種類のお着替えが発売されます。 ベッツィーは、横8、25 X 縦21 X 奥行き5pの箱に入れられました。 箱の中のベッツィーはキャミソールを着、ソックスと靴を履いて、そしてピンクの薄葉紙と、透明のビニールで包まれていました。 当時、ドールは$2.25、お着替えは$1.50〜$3という小売価格でした。 このお値段を見ますと、当時から、ドールのお値段を上回るような、凝ったアウトフィットを販売していたことがわかります。
◇ 8インチベッツィーのボディー ハードプラスティック製のベッツィーは、頭、胴体、両手、両足から出来ています。細かく見ますと、頭は顔と後頭部の2つのパーツ、胴体も前後2つのパーツ、左右の腕、足は両足ひざ上、ひざ下、そして、スリープアイ機能の目からなっています。
ほっそりとした両腕にはフックがあり、人形用の輪ゴムによってからだの中でつなげられています。その指は、中指と薬指がくっついたデザインです。 頭部には金属のフックを引っ掛けるためのバーがあり、輪ゴムによって胴体につなげられています。 大腿部とひざ下については、初年度モデルはプラスティックのペグが使われましたが、それ以降は金属製のピンが用いられました。 背中の一番下の部分には、サークルの中に"McCall Corp"の刻印がありますが、シアーズとモンゴメリーワークスで売られたベッツィーにはこの刻印は通常ありません。 ベッツィーの髪の両サイドには銀色の金属製のバレッタがつけられました。
◇ 8インチベッツィーのお顔 お顔には2種類のモールド(型)があり、前期の顔型は後期のものより幅があり、顔の長さが短いものでした。 濃いブルーのスリープアイ(寝かせるとつぶって、起こすと開く目)には、型取りされたまつげが付いています。ベッツィーの眉毛と下まつ毛、唇は工場で手描きされていました。ばら色のチークはエアーブラシで色付けされ、濃いものや薄いものがありました。透き通るようなその肌色は、ビスク(2度焼きされた陶)のようだと言われました。閉じられた小さな唇は魅力的な微笑を浮かべています。
◇ ウィッグ(かつら) ベッツィーの髪は、頭部に、ウィッグを糊付けされています。発売年、1957年のウィッグ(かつら)は、コットン布製のベース地(コットンネッティングまたは、メッシュのキャップ状)に柔らかいモヘアが縫い付けられているものでした。一般にこの初期のウィッグは後期のものより短い髪でしたが、初期のベッツィーでも髪の長い子がいることがわかっています。初期の髪は赤毛と金髪(Red & Blonde)です。1958年にはウィッグは変わります。初期のウィッグは扱いにくく、髪型をキープするのが大変だったための企画変更だと思われます。新しいウィッグはラバーキャップ(ゴム製のキャップ様)にサラン製のヘアーが植えられているもので、洗ったり、くしやブラシで梳かすことが出来ました。ただ、1958年から1959年のラバーキャップウィッグは粗くて縮れ毛の流行の素材が植えられ、それは管理が難しい素材でした。1960年になると、よりスタイリングしやすいシルクのような素材へと変わります。髪色は、ブロンド、ブルネット、赤毛、トスカ(ストロベリーブロンド)の4色ありました。そして他の3色に比べて、トスカは3倍量製造されたため、最もよく見られる髪色となりました。
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